読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

黒澤明「七人の侍」の個人的感想・評価・レビュー

本年、デジタルリマスター版として鮮やかに現代に蘇った映画の不朽の最高傑作、黒澤明の「七人の侍」を久々に見ており様々感じることがあった。

あの映画は、「ドキュメンタリー構成」であったということであった。

 

 

 
上映時間は207分あり、前編後編でわかれており、間に休憩が入り、DVDも2枚となっているのだが、これまでこの作品を劇画と私は考えていた。

しかし、劇画としても素晴らしい構成の映画であったのだが、改めて鑑賞しこの作品がドキュメンタリータッチで描かれているのではないかと見えるようになってきた。


その理由は三つあると思う。

一つは、舞台となった村で実際に役者にその服を着せて生活させている。
しかも、あれだけ百姓が出てくるのにもかかわらず、家族構成まで指定し、撮影の間は共に生活させたのだという。

黒澤明はリハーサルが普通の映画監督よりも力を入れてやることはよく知られている。
しかし、それ以上に、実際に役者たちをその服を着せて一定の期間生活させたというのは力の入れようが次元が違う。

また、これは用心棒とかでもそうだが、衣装を毎日着て、あえて洗わず汚れさせ、使い込んだ感、特に七人の侍の百姓の雰囲気を出すことに努力している。

故に、“本当に暮らしている人たち”という感覚となり、そこで起きた出来事を撮影しているような印象を受けるのだ。


二つ目に人物設定がしっかりしていたことにある。

これはまた後でも述べるかもしれないが、黒澤明の作品たちが人物設定がしっかりしていることはよく知られているが、とりわけ七人の侍については一人につきノート一冊と言う設定を書き込んでいる。なんと、その人物の生い立ちまでも記し、振り向き方、歩き方、しぐさなどの癖をも設定に盛り込み徹底して人物を作っている。

故に本当にその場に存在する侍または百姓と言う存在となっている。


三つ目にカメラワークがドキュメンタリーっぽいものとなっており、かと言っても劇映画としてもダイナミックに描かれている。

特にこの映画からマルチカメラ方式と言うのを日本で行っていることが大きな理由だろう。


マルチカメラとは複数のカメラで撮影を行う方式で、黒澤作品はあらゆる方向から基本八台でカメラを回し撮影している。

その複数からとった画を編集で自在に作り出すことができる。


また、それだけのカメラがあれば、いわゆる芝居を持続させることができる。

溝口健二と言う映画監督は“長回し”というのもを多用してきた人物であるが、黒澤明長回しというよりは、カメラを複数置き、一度に撮影することで、自然な流れを持った映画を製作してきたのである。

まして、七人の侍のような広大な村を舞台にした侍と百姓が織り成す壮大な劇を複数のカメラで撮影することによってあのようなドキュメンタリー構成に仕上がっている。

しかし、望遠でダイナミックな、また激しい演技をする役者たちがいることによって、スペクタル性も含んでおり、見るものを飽きさせない構成に仕上がっている。

それが七人の侍と言う映画だと思う。