黒澤明が映画で描いた英雄(ヒーロー)像とは

映画界の大王者黒澤明は1998年88歳でこの世を去るまでの間、30作もの作品を世に贈り出した。

30作品を通して見た時、彼が描いた英雄・ヒーロー像が見えてくる。

それは結論して言えば「庶民の味方」であり「弱いものの味方」であったということだ。

 


不朽の名作「七人の侍」(1954年制作)では百姓の村を襲う野武士を侍を雇って撃退するというのを描いている。

ただ「腹いっぱい飯を食わせる」というだけの、名誉にもならない何の褒美もない百姓の頼みを聞き入れた七人の侍たちは、猛然と押し寄せる野武士の軍団から死力を尽くして、命を捨ててこの村を護り通した。

この戦いにより、七人中四人の侍が犠牲となっている。


七人の侍の予告編のナレーションにはこうある。


「ある簡単な小さな村に侍の墓が四つ並らんだ。野心と功名に疲れた凶器の時代にまったく名利を顧みず哀れな百姓のために戦った七人の侍の話。彼らは無名のまま風のように去った。しかし彼らの優しい心と勇ましい行為は今なお美し語り継がれている。彼らこそ侍だ」と。

 


また、三船敏郎の威厳、存在感を更に全世界に知らしめた「用心棒」(1961年制作)では所謂ヤクザ同士の喧嘩により恐怖と不安に追いやられていた街を、共倒れにして救おうと知恵を働かせる三十郎の姿を描いている。

また、「天国と地獄」(1963年制作)では山崎努が演じた犯人が勘違いにより狙いを絞っていた三船敏郎演じる権藤の子どもではなく、別の子どもを誘拐してしまうが、「3000万を支払え」と要求する。


この3千万は自分が会社で勝ち抜くため、蓄えてきた自身の全財産であった。
葛藤の末、3000万を支払うことを決断するのだった。


それにより、全てを失った権藤氏のためにも、仲代達也演じる戸倉警部ら警察が猛然と犯人確保に全力を挙げるのであった。

 



また、黒澤・三船コンビの最終作となった「赤ひげ」(1965年制作)では、舞台となっている療養所(病院)は所謂下層の百姓、庶民たちであった。


その際、三船敏郎が演じる赤ひげにこのような趣旨の台詞を言わせている。


「このような状態になったのは幕府、政治の問題だと思うだろうが、幕府や政治がこれまで貧困と病気を無くせという法律を出したことがあったか?そのような事は無いではないか。だから我々のようなものが必要なのだ」と。


このように黒澤明の映画は一貫して「庶民の味方」「弱い者の味方」こそが真の英雄でありヒーローであるということを描いていたように思う。

特に、七人の侍や用心棒などの時代劇で描かれてきた時代の庶民と言うのは、それはそれは不幸に見舞われ、泣き寝入りするしかない現実、宿命を強いられてきたことだろう。


弱者たちの味方となって立ち上がりゆくヒーローを描いたところに、黒澤明の庶民に対する愛情を思い知ることができる

黒澤明「七人の侍」の個人的感想・評価・レビュー

本年、デジタルリマスター版として鮮やかに現代に蘇った映画の不朽の最高傑作、黒澤明の「七人の侍」を久々に見ており様々感じることがあった。

あの映画は、「ドキュメンタリー構成」であったということであった。

 

 

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黒澤明作品は男の映画

最近、飛び飛びだが久々に「七人の侍」用心棒」「椿三十郎」を鑑賞した。


その圧倒的な迫力と重厚なカメラワークとドラマと三船敏郎、仲代達也といった俳優の力強い演技で一瞬でのめり込む。

黒澤明の映画はまさに男の映画である。

 

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